あほキャス日記

青キャスというのはこのブログを書く人間のツイッタァでのハンドルネームです

SHINE

 15年培ってきたギターロックバンドとしてのパワーに溢れてて当然好き。四つ打ちでギターが曲を引っ張るこの疾走感、一人のベボベファンとしてこういうスタイルに魅力を覚えるように価値観が形成されてきているんだと思う。でもベボベはそこからどうやって期待されるポイントからズラすかに意味を見出してきたバンドでもあると思う。特に3.5th以降は。例えばこちらも大好きなPOLYSICSなんかはむしろ逆で「リスナーのもつ価値観から作品をどうズラすか」ではなく、「リスナーの価値観自体をどうズラすか」というバンドだといえるだろう。

 

 これは微妙な問題だけどすごく面白いテーマだと思うのでもう少し言及したい。Base Ball BearのPVで再生数が多いのは1位から順に《short hair》、《PERFECT BLUE》、《ドラマチック》、《changes》、《Stairway Generation》(2017/8/16時点)。《すべては君のせいで》の伸び率もなかなかなのを見ると本田翼人気ハンパねえ。ただ言いたいのはそういうことではなく、これが世間が持つBase Ball Bearについての価値観とも言うこともできる。もちろん再生数の中には超ライトな層や本当に本田翼目当ての人もいるだろうし、そもそも僕はYouTubeの再生数に意味を見出すのは基本的に正しいとは思っていない。でも今YouTubeの再生数を持ち出したのは、逆にそのライトな層にもフォーカスを当てて考えたいからだ。

 今のベボベにとっての代表曲(真の意味でバンドを象徴する曲ということではなく、ライトな層含め広く認知された曲という意味で)は《short hair》だということになる。そして今ベボベを聴き始めるリスナーは、これを基準に過去の曲や最新の曲を評価することになる。このときリスナーの中でバンドに対して「こうあってほしい」というイメージが形成され、逆にバンドはその期待に対してどう付き合っていくかが課題となる。ベボベはその期待に真っ直ぐ期待通りの回答をすることには価値を見出してはいないバンドだ。むしろその期待をかわした先に新たな価値が発見されることに希望を持っているという感じだろう。完璧なストレートを投げてから変化球で空振りを取ってバッターを感服させるように。(この三振のとり方を覚える前は、変化球投げつつも決め球はいつもストレートだった。《Stairway Generation》なんかはそうしてストレートを投げ続けなければならない苦しみに関する曲だと思う。ステジェネまで行った時用のメモ。)

 それに対してPOLYSICSの再生数1位は《I My Me Mine》だ。正直言って最高に頭がおかしい(褒め言葉としての意味)。この時点でリスナーが「こうあってほしい」などと思えるようなレベルから完全にかけ離れている。POLYSICSを聴き始める人は、代表曲《I My Me Mine》という自分にとって理解できない場所からスタートするが、次第にその理解できないスタイルがおもしろくなってくる。中には僕のようにルーツとなるバンドを漁ってそれを理解しようとする人も多いだろう。それを継続することで理解できなかった物の楽しみ方をリスナーが覚えるという関係が成り立つ。そしてまた理解不能な新曲が出て、でもリスナーはまたそれを驚いたり楽しんだりするという流れ。真っ直ぐからの変化球で三振を取るベボベに対して、初めから魔球みたいな変化球を投げまくってバッターに打ち方を覚えさせるが、決め球はまたさらに意味わかんない変化をして凡打で打ち取るような感じ。

 ブライアン・イーノはなんかのインタビューで「ファンは究極的には前のアルバムみたいな曲を作ってくれることを期待している」という旨のことを述べていた。リスナーの期待とどう付き合っていくかというのは、バンドによって千差万別だが、非常に重要なテーマだと思う。

 

 うまいこと言おうとしてうまく伝わってない感じが否めないが、話を《SHINE》に戻したい。今述べたような前提があるため、こういう感じの一聴するとこれまでのベボベの楽曲制作の文法に沿っているような曲については、逆にこれまでと何が違うかを捉えることが大切だと思う。

 といってもそれは勿論湯浅がいないということなのだけど、それによって実際何が変わったのか。やっぱベースですよね。これまで湯浅ギターが担当していたメロディーとメロディーの間の無意識に印象に残るようなフレーズを関根ベースと小出ギターが担当している。特にかつてルート弾きが基本だった関根ベースの変化は大きいものだと思う。

 

 歌詞について。「その手の炎」とか中二病感すごいけど、結局青春ってそういうことなんでしょうね。僕は中二病という言葉を嘲りの言葉としては断じて用いない。むしろ愛すべき中二病というか。秩序で満たされた社会や集団に馴染むことを拒んで自分らしさを確立しようとした結果、ちょっと恥ずかしい感じになるのが中二病だと思うんですね。それを恥ずかしいと思うのも、僕がある部分で「持たざる同僚たちに馴染ん」でいる証拠なんですけど。でもそのことに自覚的であることは大切なことだと思います。

 で、「その手の炎」による万能感を表現した1番の歌詞、上で述べた秩序や「普通に」よって「流されるボート」になって「全能」が「取り上げられていく」2番の歌詞、別々の段階を描いてますね。小出も各所で言っているけどベボベの歌詞としては、1つの曲に状況が2種類あることは珍しいことですね。でもそのどちらでもあってどちらでもない脆さが青春の正体なんだと思います。その全能と無能の間を揺れ動くのが青春というものの、すごい、それは、美しさなんだ、かも、しれませんね、SAMURAI。

 

(謎の向井秀徳締め。結局曲の解釈後半のちょっとしかしてねえじゃんか。)

寛解

 前回の《(LIKE A)TRANSFER GIRL》を書いてからめちゃくちゃ間が空いたことで、僕の中の湯浅論をめちゃくちゃアウトプットしたかったんだと実感しましたね。大学も試験終って暇なのに前回ので大満足して全然再開しなかったけどそろそろコンティニューしましょう。

 

 (LIKE A)なんかは転校生シリーズという表面上のフェイクを使って別のことを表現するタイプの曲だと思っているけど、逆にこの《寛解》はタイトルが直接的過ぎて「湯浅脱退からの寛解」というフェイクでその先の何かを表現しようとしてる気がする。ただその先に関しては今の段階では僕の想像力の上限を越えていて難しい。湯浅論に意識が持っていかれすぎて想像が広がっていかないのかもしれないけど。

 ただ一つ指摘したいのは小出の歌詞における〈異空間〉みたいな存在のこと。小出の歌詞にはこの世の場所ではないような〈異空間〉が舞台になるものがいくつかあると思っている。僕なりの解釈で例を挙げると、一番わかりやすいのは《HIGH COLOR TIMES》。他には《WHITE ROOM》《ホーリーロンリーマウンテン》、そしてこの《寛解》。それぞれ異空間具合が違うし何か共通する意味を持つとは限らないけど、この〈異空間〉こそ現実を現実的に描くベボベに必要なものだと思う。「白い壁 硝子張りの施設」という非現実的な空間から現実を見るからこそ現実が良く見えるはず。混沌とした現実の中からだけで現実を描いても、それは有限の世界で無限を数え上げるようなもんではないかと。不完全性定理みたいな。

 この〈異空間〉、僕の好きな村上春樹の作品にもたまに出てくるんですよね。『海辺のカフカ』では四国のどっかの森の奥の奥に時間も文字も何も意味をなさない完全に自由な世界があって、そこでカフカは現実世界の意味を見出すんですけど、それみたいな感じです。ちなみに『海辺のカフカ』は個人的に多分一番好きな作品。いや『1Q84』も好きかな。まあ順位とかつけらんないですね普通。

 

 サウンド面に関しては、打ち込みの音がここまで中心になりながらも実はギターがしっかり曲を引っ張っている感じ、さすがすぎだと思った。15年間打ち込みなしでやってきたギターポップバンドとしての実力の凄まじさが良く分かる曲だと思う。生ドラム音源を実際に叩いた生ドラムのタイミングで返すという、生のようで加工的なようで生な感じとかも含めてBase Ball Bearにしか出来ないサウンドだと思う。こういう地味な曲にこそ新しい魅力を発見できるから楽しい。

(LIKE A)TRANSFER GIRL

  湯浅将平脱退の件についてまたしても深く言及するんですが、今回も逆バタ同様、まあアツく書いていますね。前々回の《逆バタフライ・エフェクト》の記事では結果的に、湯浅視点に立ってその時のベボベがどんなものだったかを推測して書いた内容が多かった。それに対して今回の《(LIKE A)TRANSFER GIRL》では、小出・関根・堀之内から捉えた湯浅のことについての推測・解釈という内容となると思います。ベボベ湯浅論・小出関根堀之内編というか。

 

  ベボベには所謂「転校生シリーズ」というものがあります。DETECTIVE BOYSの《Transfer Girl》と新呼吸《転校生》のこと。端的に言って、この曲はその転校生シリーズとは関係ないと思っています。あくまで(LIKE A)であると。

  じゃあ何なんってところですが、このTRANSFER GIRLのような人物こそが湯浅将平に他ならないでしょう。湯浅が出て行ったことに対しての正直な気持ちをもとに曲を作るというのには、小出も思い切ったな、と思いました。思い切りすぎていて、本当にそれを意図しているのか?と疑いたくもなるくらいでした。しかしインタビューやニコ生等の振る舞いや、1つ前の《Low way》と次の《寛解》との繋がりからこの曲は湯浅についての曲であることを確信しました。

  前回も書いたように湯浅脱退に対してベボベは非常に気丈に(捉えようによっては冷徹に)振る舞ってきたため、湯浅が出て行ったことを曲にするというのは気丈な姿勢と矛盾するようにも思えるが、まずはそれでも僕がそう解釈した過程と根拠について述べたい。


  そもそも湯浅脱退に対して気丈に振る舞わなければならない理由は、湯浅がいないベボベという状態で客を動員して活動しなければならないからだ。ストイックにリアルを追求するベボベとして、中途半端で暫定的な形を見せるわけにはいかないから湯浅を完全に脱退として新たなベボベを見せる、ということには納得できる。
  しかしなぜ僕らはそこに残酷さを感じてしまうのか。それはストイックなBase Ball Bearとしての彼らの姿だけではなく、中学・高校以来の友人同士としての彼らの姿を見ていたいからでしょう。

  ライブのMCその他で小出は湯浅が抜けて云々という話をするときに必ず「去年うちのギターが脱退しまして…」という風に、湯浅のことを「ギター」と呼んでいます。これは意識的なものでしょう。とにかくインタビューとかでも「将平」という呼び方を避けている。
  一人称にしろ二人称にしろ三人称にしろ、人の呼び方にはその人達同士の関係性が象徴されるものです。小出があえて「ギター」と呼ぶのは湯浅との関係性に、中学以来の親友という側面を隠す必要があったということでしょう。なんで隠す必要があるかといえば、それはもちろんつらいからでしょうと。20年弱の付き合いの親友に縁を切られてキツくない人間とかいないんじゃないですか、普通に考えて。
  ただBase Ball Bearというバンドを動かし続ける以上、いなくなって辛いとは言っていられないわけです。彼らのプライドとして。そしておそらくマーケティング的にも。それで新体制のベボベに中途半端で暫定的なイメージが伴ってしまい、それによって売れなかったりしたらそれこそバンドが消えてしまうから。そのため湯浅のことを「ギター」と呼び、親友としてではなくバンドメンバーの1人としてその逆境に対して気丈に振る舞うことが必要だったということだと僕は思う。


  しかし、この曲では湯浅の親友としての小出の側面が表れている。僕がそう思う根拠の1つとして、アルバムの曲順という点が挙げられます。
  1曲目2曲目はメタなベボベの姿・2周目の青春や、もう自分ではどうしようもない運命と並行世界のことについての曲でした。3曲目《Low way》で色合いが変わって、次いでこの《(LIKE A)TRANSFER GIRL》、そして《寛解》と、まさに湯浅を失った現在進行形のベボベを歌ったものが続く。3,4,5曲目と他の曲で性質が違うのは、さっきも書いた「親友として」という側面と「バンドメンバーとして」という側面を分けているからだろうと思う。《Low way》はバンドメンバーモードから親友モードへの入り口、《寛解》は親友モードからの出口、そしてこの《(LIKE A)TRANSFER GIRL》は親友モードのど真ん中だということ。

  もう一つの根拠は、リリース日のニコ生で《(LIKE A)TRANSFER GIRL》についてのトークを避けたという点。これはまあ本当に捉え方次第というところではあるが、僕の場合は親友モードとしての話はバンドを動かしていく以上しないようにしている態度の表れだと思った。ただ単に放送の残り時間が少なかったというだけだろと言われれば、まあ個人的な見方ですけどとしか言えないものだけども。


  その解釈のもと、ここで歌詞について考えたい。
息を潜めた街は秋の甘い匂い
過ぎた短い夏のことを忘れて
この「街」ってベボベのことかなと。《文化祭の夜》みたいに、秋を思わせる今のいわゆる大人なベボベは「夏のバンド」という括りを取り払って変化し続けてきた、という解釈。
息を潜めた街に冬の甘いエッジ
君と待ち合わせた駅には 粉雪が

そんな中、湯浅脱退という「エッジ」が冬を告げる、みたいな。しかしそんな冬の中でも、
咲かせた言わぬ花をまだ枯らせたくはないんだ 僕は
と言っている。親友としての小出はあくまで湯浅に寄り添う形で、でもバンドは枯らせずに続けるからなと宣言。冬が終わってもバンドは終わらないぞっていう。
  あとは何だろう。「過去からのビデオレター」って《そんなに好きじゃなかった》のPVとも言えたりしてね。もう一つ、
淹れただけの紅茶がもう冷めてく
紅茶は湯浅の好きなミッシェルの象徴だろうと思う。(ミッシェルガンエレファント《世界の終わり》より)これは結構気付いた瞬間鳥肌立ったし、小出もそういう意図で「紅茶」を使ってるんじゃないかなって。
  ベボベの歌詞で「紅茶」が出てくる曲は、書きながら調べた限り、①《海になりたい》②《BAND GIRL'S SPIRAL DAYS》③《不思議な夜》そしてこの④《(LIKE A)TRANSFER GIRL》の4曲。このうち①では「紅茶で染まる道路」③では「都会と空と海が混ざる紅茶色」と、色の比喩として用いている。一方、②と④では色として使われているわけではない。それどころか②では「世界の終わりには 紅茶飲めないから」と、ミッシェルの歌詞を踏襲したものになっている。④でも同じくミッシェル(=湯浅)を意味するのでは、という。
いつだってbe with you
見つかったってwith you
いつだってbe with you
見つかったっていい理由

ここに至ってはもはや言及するだけ野暮でしょう。

  あとギターソロ以降のギターのフレーズに関して。どうもギター湯浅将平な雰囲気感じないですかね。ギターソロ9小節目以降とか分かりやすいんじゃないかと。あの下降形に《少女と鵺》のギターソロ感を覚えるのには共感してもらえませんか。コード進行が似てるってのもあるけど。


  こんなところでしょうか。書いてて思ったのは、僕が親友同士としてのベボベという側面を望みすぎている為にこういう解釈に偏ってしまっている、と考えることも出来るなというところ。まあでも解釈というのはその人の思考が如実に反映されるものだし、少なくとも偏りがあるかもしれないと自覚できているだけ良いと思いたい。ユニークな人間性と互いの関係性含めて好きなのは確かだし。

  どこかのインタビューによればこの曲は関根の推し曲。中学時代、学年が違うにもかかわらずバンドに誘われた関根だからこそ、4人でいることを特に誇りに思っていたんじゃないかと思う。

  そして、これをベボベがアルバムに収録したということがファンとしては本当に嬉しい。仕事仲間としてではなく親友としての姿を、隠しながらとはいえども、表に出してくれたというのが。で、こういうシンプルなアツい思いは隠さずに表面に出ているとすごく安っぽく見えてしまうもので、一周回ってからこの境地にたどり着かせようという考え、それこそが小出の言う「粋であるということ、それがロック」ということを体現していると思う。

  〈バンドメンバーとして〉という側面で捉えたとき、〈親友として〉の気持ちというのは弱さだとも言えると思う。ただ人は何かを良いと思うとき、強さよりも弱さに魅力を感じるもので。昔どこかのインタビューで関根は「ロックなものの不完全さ」という話をしていた。〈親友として〉の、バンドとしてはある意味で不完全な姿を粋に見せてくれるというところに、ロックバンドとしてのベボベの魅力が集約された曲だと感じた。

Low way

 前回の逆バタは少々アツく書いてしまってボリュームもなかなかのものになってしまいました。そのため同じタイミングで書いていた大学のレポートもそのテンションに引っ張られてアツく書きすぎてしまい、読み返したら若干恥ずかしかったので修正しました。コミュニケーションとか教育とかそういう内容だったのも理由の一つですが。気楽な授業なのでレポートも書きゃ単位が出るタイプですが、気楽すぎて全員それぞれ発表してみようという運びになったので話してて恥ずかしくならない内容にする必要があったのです。こんな話クソどうでもいいですね。今回はなるべくシンプルに行きたいと思います。

 《Low way》は小出が各所で特に聴いてもらいたい曲みたいな括りで推してますね。アルバムの中で一番初めにできた曲だそうで。ベボベとしては異質なこの曲を一番初めに作ったというところには、やはりベボベの変わり続けようという意志がよく表れていると思います。破壊と創造、とはまた少し違うと思います。破壊はしてないし過去の曲を全く否定しないというのはベボベの特徴でもあります。ただそこで形成されたスタイルや曲作りの文法(なんかのインタビューで小出が文法という言葉を使ってました)から抜け出すというのがその時その時の課題となることは多いのではないでしょうか。

 湯浅脱退という発表をしてもベボベには決して活動休止という考えはなかったのは発表時のメンバーのコメントからも明らかです。この類の出来事において常套句となっている「充電期間」という言葉すらも使いませんでした。そして湯浅のみ活動休止という選択にも至りませんでした。そうしてしまうと中途半端な形を見せるという意味が含まれてしまうためだと思いますが(このあたりのことは次の記事でまた言及します)、とにかくベボベは気丈に振る舞ってきました。
 そのあまりの気丈さゆえに、話し合いもできていないのに下された急な決断をあまりにも残酷だと思った人もいると思います。というか僕も初めはそう思わずにはいられませんでした。小出よ、それはあまりにも厳しいのでは、親友としてそれは残酷すぎやしないかと。しかし過剰なほどの気丈な姿勢がBase Ball Bearとしてライブを行い、新曲をリリースするという活動に客を動員するのには必要だったということです。いやそれでもキツすぎるだろと思うかもしれません。ただこれについても次の曲の記事で本格的に述べたいと思います。

 とにかく大事なメンバーを失っても強い姿を見せていたベボベは、充電期間なんて存在しないと思わせるかのように振る舞っていた。しかし、まあさすがに真っ白になって立ち尽くした瞬間くらいあるでしょって曲だと思う。充電期間というよりも完全に放電してどうしようもなくなった瞬間というか。

終電逃し見上げるハイウェイ
 湯浅の脱退であらゆる流れから取り残されてしまったベボベを表してますよね。でもそこにあるのは絶望感とかじゃなくて、「あーもうしゃーないわ」感というか。清々しさというとまた違うけど、ここまでなす術がないと逆にふっ切れる感じというか。もはや逆に前向きな気持ちで制作に入れたというそんな曲。
 そんな種類の逆境もこの世にはあるもんで。自分の体験を投影するなら就活を始めていたにもかかわらず休学期間があったせいでまだ卒業できないという規則を唐突に伝えられてもう笑っちゃうぜみたいな感じと似てるかもと。
 まあ今のはちょっと分かんないけど、「湯浅脱退、残念、ハイ次」みたいな感じではさすがにないってことは伝わるかと。


ゆらり 涼しい風も踊る
 みたいにほとんど全て失ったからこそ美しいものに気づくとか、
親の目盗み 君の部屋に転がり込んだ
あの日みたいだな

 みたいに全ての始まりの状態を思い出すとか、「エラいことになったさあどうしよう」ってときの心境が素直に表れている曲だと思う。
 で、ほとんど全て失ったけどまだ自分自身の生身の身体ならある、っていうのが湯浅を失ったベボベの状態で、それからの心持としては
そして、思い付いたとき 駆け出していく
それでいい

ってところですね。


 ファンとしても、発表を聞かされただけの時よりも幾分優しい気持ちになる曲だなと思う。小出が推したくもなるわけだ。そして人生にもこういう時間が時には必要なんだと思った。

 そんな感じですね。1900字、そりゃそうだけどもレポートよりえらくスラスラと書きやがる。
 最後に、この曲のスーパー重要な役割として次の曲に繋ぐブリッジというものがあると僕は思う。さっきから次の記事次の記事言いまくってるけど、それくらいに次はアツく書かずにはいられない曲で。次は逆バタよりもアツく書きたい曲、というよりも光源で一番アツく書きたい。曲としてもアルバム内で次への架け橋としての役割を持っているのと同じように、ブログの記事としても次への架け橋という部分を強調してグッド・バイ。

逆バタフライ・エフェクト

(※この記事の終盤では湯浅脱退の件について言及しますが、本編はもうちょい下から始まります。はじめは関係ない話と個人的な話が続きます。)
  9mmにButterfly Effectって曲ありますよね。ところで9mmも滝さん病気でライブは出演できてなく、2016年は僕が好きだったものがバタバタ形を変えてしまって(バタフライだけにね、超おもろいですね)精神がしんどかったですわ。3月にはBase Ball Bearで湯浅脱退、9月にはDOES活動休止、11月には9mm Parabellum Bulletで滝が休養と。現在活動してる日本のバンドで僕がよく聴くTOP5から3つがいっぺんに形を変えるってしんどすぎるでしょ。俺何か悪いことしたかって。ちなみに残り2つはPOLYSICSストレイテナーだけどそこには特に悪いことは起こらなくてよかった。ただ万が一その2つにも何かあったらデスブログとしてPV数が上がってしまいそのうち夜道で刺されそうだ。
  縁起でもないこと言うもんじゃないですね。2016年はそんな悲しみの連続に加えて、個人的なことではかつての大学休学期間のせいで4年生なのに卒業出来ないことが判明し(何ならちょっと就活始めちゃってたし)、バイトをすれば収入が扶養範囲超えそうになって各所に平謝りし、イギリス旅行に行けば持って行った自転車を盗まれ、ほんとエピソードに満ちた年だな。

(※ここから本編です)
  話をベボベに戻しましょう。アルバム光源の成功はベース関根のファインプレーが必須だったと僕は思う。アルバムC2から《曖してる》なんかで本格的にチョッパーを入れだして、ベースが曲を引っ張るノリに変化が出てきた。この曲でもそれが存分に発揮されている。ルート弾きベボベも控えめに言って最高だが、こういうノリもまた良し。ただ個人的には所謂「ルードかつ直線的なベース」(向井秀徳より)がどちらかといえば好きだけど。ナンバガのナカケンもミッシェルのウエノもPOLYSICSのフミもDOESのヤスも、そしてベボベの関根も、ルードかつ直線的なベーシストが好きだ。

  さて、バタフライ効果って微々たる変化でもあるのと無いのでは後々大きな差異を生むみたいなことを指す言葉だけど、元々は気象学の用語なんですね。映画のタイトルとか(見たことないけど)文学作品にもよく出てくるけどこれ書くのに調べて由来を初めて知りました。
  このテーマについては曲の解釈いうよりも、3人になってしまったベボベにとってのバタフライエフェクトって何なんだろうという僕なりの考えを連ねたい。そういうifの話は完全に意味ないけど考えずにはいられないもんで。

  真夜中のニャーゴとかでの小出の発言をもとに考えると、湯浅失踪の直接の原因はアルバムC2の制作だろう。湯浅がギターのフレーズを考えてくることが出来ず、制作の進行ペースが乱れて小出だけでなく堀之内もかなりキツい言い方したようだ。ただここでキツいこと言うのは、それがベボベの制作スタイルだから悪いことではないはず。いつかのインタビューで関根は、上手くいかなくてバンドを辞めろと言われて本気で辞めることを何度も考えた、と言っていたほどベボベの制作現場はストイックなものだ。そのストイックさを原因としてバタフライエフェクト認定してしまうと、結果として他のベボベのどの作品も消えてしまうことになるから違う。
  視点を「なぜ湯浅がフレーズを考えることができなかったのか」という点にズラしたい。端的に、かつ間違いを恐れずに言うのならそれはC2の制作で使用していたギターが原因だと思う。C2の制作ではSugiのRMG(Rainmaker Guitar)というギターを、小出と湯浅2人同じ種類のものを使っている。RMGにはアルダーボディとバスウッドボディがあるが、おそらく2人ともアルダーボディのものを使用している。小出のは黒ボディ白ピックガードでメイプル指板のものしか見たことないが、湯浅のは黒ボディ赤茶鼈甲柄ピックガードでローズ指板のものと、緑ボディ白ピックガードメイプル指板の2種類を見たことがある。湯浅が黒ボディ赤茶鼈甲ピックガードというとアベフトシへのリスペクトが窺えて嬉しい。湯浅の代名詞的なサンバーストのストラトの裏にはアベフトシのサインが入っているほどだし。
  しかしこのレインメーカーというギターを使うようになってからベボベのレコーディングは変化した。もともとは同じパートのギターも多重録音して音を作っていたのが、レインメーカーになってから重ねる回数が極端に減ったようだ。サウンド的にもシンプルになって、それから曲もブラックミュージックなノリが多くなって環境がかなり変わっていった。フレーズ作りに苦戦したのはこれも影響しているんじゃないかと思う。
  その辺のサウンドと曲のノリの変遷を、自分の感じる範囲で簡単にかつ極端にまとめたい。サウンドに関してはシンプルor多重、ノリに関しては直線的なギターロックorブラックミュージック的という何とも極端な区別で。最初期のベボベを基準として、直線的なギターロックというのはその最初期風な曲の作り方という意味で使う。

インディーズ時代…サウンドはシンプル、ノリは直線的なギターロック
C…少しずつ多重に、直線的だが変態コード多用(所謂「未知のコード感」)
十七歳…多重・ストラト湯浅のターン、ギターロックかつポップさが前面に
ラブポ…多重+変態サウンド(《SIMAITAI》とか)、ノリはギターロック・ギターポップだがより内向的
3.5th…多重かつ超絶エフェクティブ(《kimino-me》など)、ブラックミュージックとかファンクのノリの実験場(《十字架You and I》が代表)
新呼吸…多重の極み(《Tabibito In The Dark》《short hair》)かつ超エフェクティブ、ギターロックなノリ
二十九歳…多重、直線的なのもあるが注目すべきはファンク的な小出カッティングのノリ
C2…サウンドはシンプルに(Rainmakerが起因)、3.5thで実験して二十九歳で部分的に扱われたファンクやブラックミュージックなノリの本格実践

  自分でまとめてみてもこんなに分かりやすく単純に言えるものじゃないのにとも思うほど極端すぎるまとめ方だ。今後他の曲にも言及する中で僕の感じ方の細かいニュアンスを書きつつ、極端にまとめすぎたところを修正できればと思う。
  話を戻して、つまり湯浅はC2でサウンドのシンプルさとブラックミュージック的ノリが組み合わさったところにうまく順応できなかったのかと思う。逆に順応どころか先導して行けたのが関根かと。もちろん僕としてはC2もめちゃくちゃ好きなアルバムだし、ファンクなノリのベボベも良いと思う。ベボベにはその変化に聴衆をついて来させる色んな魅力がある。しかし人によっては受け入れ難い変化というのがあってもおかしくはない。湯浅の音楽ルーツや性格や技術や演奏スタイルやその他諸々の事情がC2とたまたま合わなかったのだと思う。

  半分忘れていた《逆バタフライ・エフェクト》の考察ということで考えると、Sugiのレインメーカーというギターが巡り巡って湯浅脱退に繋がったとも言えると思う。さらに遡ればライムスターとのコラボ、その布石となる3.5thでのコラボというもの自体のスタート、その理由の理由のうちの1つになりそうな1度目の武道館で小出がフラストレーションを覚えたというのも、ベボベにおけるバタフライの例だと思うがさすがに長くなるからやめておこう。率直なことを言うならば、SugiのレインメーカーはアルバムC2成功の要因ではあるが、湯浅にとっては呪いのギターだと思っている。
  確かに僕も元々は変態コードや変態サウンドを含みながらもポップかつ疾走感のあるギターロックという謎のバランス感に魅力を感じてベボベが好きになったし、昔の曲良いなって思うことは多い。湯浅が続けられていたようなベボベの音楽スタイルであったらいいのにと心から思う(それは昔に戻せという意味よりもC2的ではない変化の仕方だったらなと)。
  ただ聴衆の一員としてはそう思いながらも新しいものにもたくさん魅力を見つけてついていけるが、演奏者としては演奏の引き出しとか物理的で実際的な技術や発想なんかも必要で、その苦労を思うと湯浅だけではなく他の3人も本当に凄い。

  もし変化について行けなかった湯浅を責めていると認識した人がいたら、その誤解は解いておきたいし、逆に湯浅を脱退に追い込んだ様々な要因を責めていると認識した人がいたら、同じくその誤解も解いておきたい。何かを責めるというのではなく、その変化はベボベにとって起こると決まっていた仕方ないことで、現実とはそういうものだとつくづく思う、というだけだ。まさに
決められたパラレルワールド
決められた並行世界へ

って感じでしょうか。うまいことまとまりましたけど3700字ってベボベ学概論の期末レポートかよ。

ここでグッド・バイ

すべては君のせいで

  楽曲考察の記事一発目になるんですけど、面倒くさい考察や読解や解釈を僕がしたがる大きな理由をベボベのブログ「ボクブロ」でギター湯浅将平が代弁してくれているので引用します。


数学ガール

数式萌え。嘘。
ひとつの数列をいろんな角度から見ることによって、その数列がもつ様々な性質を読み取る事ができる。そこに現れた数式は他の数式と合わさることにより、新しい考え方を生み出す。
音楽を聴く時に、ひとつの側面だけでなくいろんな観点から聴いてみる。音と音との繋がり、曲と曲との繋がりを解釈する。過去の作品、CDのアートワーク、アーティストの言動、楽曲以外からも理解を深める。そこに新しいワクワクが生まれるんだにゃんω

http://baseballbearblog.seesaa.net/article/323230536.html
ボクブロ 湯浅将平2013年2月17日の記事より


  僕もパッと聴いて分かることが全てではないと思うわけですね。作者の意図100%の解釈なんてありえないのだから(何なら普通の会話ですら話し手の意図100%を汲み取ることは不可能。言語化・言語複合してる時点で)、受け手それぞれの受け取り方あっての芸術だからどんどん考えを広げていくべきだと思う。
  あと数学ガール僕も好きで漫画版から入って原作の小説も読みました。

  ではやっとアルバム『光源』の1曲目、≪すべては君のせいで≫のことについて考えていきます。

  「君」というのは端的に、Base Ball Bearというバンド自体。
僕を置き去りに今日も教室は進む
  とかに表れている小出の中1での実体験はあまりにも有名。そんな負のエネルギーを昇華することができるBase Ball Bear(高校の文化祭当初のバンド名はPLANETといったらしいが)というバンドを結成できたから「眩しくて困」るような「檸檬が弾けるような日々」≪17才≫があったし、「頭抱える」ような時期(LOVE&POP期、特に≪Stairway Generation≫や湯浅脱退など)があったし、そんな躍動感やある種の脆さを含んだBase Ball Bear史自体が言い換えればアルバム光源で表現してる「2周目の青春」ってことなんじゃないかと。

  ここまでめちゃくちゃ月並みなことしか言ってないけど、もう一つミュージックビデオについて言及したい。個人的にはこのPVは史上最高。湯浅がいないPVが最高を更新するのが寂しい気もするけど。
本田翼は小出を表している。クレーン上の狭い箱(=教室)で暗い気持ちにまみれまくる小出がBase Ball Bearに出会う(実際は小出がベボベを作ったんだけども)という感じで。で、とすると小出は2人存在することになる。本田翼が象徴する小出とベボベの中の小出と。そして下界は東京のど真ん中新宿。逆に言えばこの曲では東京という社会から分離して、小出を含むベボベとそれをメタに見る小出しかいない。このことからも「君」という他者のことを歌った曲というよりも、小出がBase Ball Bear、すなわち青春を対象化して描いているといえる。小出が各所のインタビューで「未解決事件な青春を対象化できた」と言っているが、それは湯浅脱退という危機に直面したからこそベボベ自身を対象化できたということにもなると思う。端的にまとめるとこの曲はBase Ball Bear自身がBase Ball Bearという生命体の在りようをメタに表現した曲ということ。
  ミュージックビデオには曲や歌詞のガワの世界観を描写したり単純に演奏シーンだけだったりする雰囲気モノなタイプと、音や歌詞が象徴する曲の本質を映すタイプの2種類があると思う。≪すべては君のせいで≫は後者だ。PVの多くは前者だが。≪抱きしめたい≫とかは前者の分かりやすい例。前者の方がマーケティング的には有利に見えるが、今回のプロモーションとしてはリリース前はビデオの前半だけ公開して雰囲気モノ風に宣伝し、リリース後に見切れカットが入って本質に迫る表現がされている。僕のように解釈・考察したがりの面倒くさい人間にも嬉しい構造になっている。もちろん前者がダメだと言っているわけではないんだけども。何よりそんな29連勝の天才棋士みたいな鋭い戦略に気づいたときの鳥肌感といったらない。

  書いてみたけどもこれは文字数としてどうなんだろうか。読む人を考えるというよりも自分の書きたいこと書いてる感じだ。いやそもそも読む人とか全然いないか。感想・反論・質問等あれば貰いたいけども、続けてたら反論してくれる人来てくれるかな。今回はここまで。

頭おかしいんでブログ始めました

このSNS時代、ブログという前時代の発信ツールを唐突に始めるって逆に面白くないですか。
それでいうと僕今さら急にパズドラも始めましたし。ウケる。

 

自己紹介します
神奈川県出身神奈川県育ち 2017年7月現在22歳、学生です。
芸術学科という変なとこに所属している変な人間です。
メディアと芸術みたいなことに関心があって勉強してきたのでその辺のことに言及することが多いかもです。ちなみに僕がここで言うメディアというのはテレビや新聞というマスメディアやネットなどのニューメディアだけでなく、情報を媒介する手段全てを指すため云々という面倒くさい前程はありますがまあ気にしなくてもいいです。
で、芸術学科ゆえに作品に対する考察とかしたいし書きたいし他人の意見も聞きたいのだけど日常的にそういうことしてると鬱陶しいので、あと暇なのでブログを始めました。

趣味はギター・作曲と機材と初代プレステと自転車と本。
好きな作家は村上春樹
中学は野球部、高校はバスケ部と軽音楽部、身体能力を買われて大学では2年生のときドラフト1位で漫研に入部(漫研は後半からそんなにちゃんと参加してませんでした)。
好きなアニメは帰宅部活動記録。でも最近(2016年以降)は全然アニメ見てないです。
アーティストはBase Ball Bear、ミッシェルガンエレファント、POLYSICSナンバーガール、DOES、花澤香菜、Dr. Feelgood、XTCDEVOthe Hives、The Bishops、The Stranglersなど。

 

とりあえずはBase Ball Bearの作品考察の記事を投稿するつもりです。
ずっと好きなベボベについて腐る程書きたい欲があるもんで。
上にも述べたように作品に対する考えすぎるくらいの考察をしたい性癖があるもんでアルモンテ
以下、考察書くときのルールです。
①敬称略
②インタビューの引用元は提示しないことが多い(面倒くさいので。要求されれば提示します)
③最近の作品から過去に遡っていく順番
④1曲1記事
つまりゴールはアルバム夕方ジェネレーションの≪BOY MEETS GIRL≫になります。
それが終われば長くは続けないんじゃないかと思います。ただゴールまで終わらない可能性も十分にある。更新頻度は分からまさん。

ベボベとの出会いは中1のとき、tvksakusakuという音楽番組で≪抱きしめたい≫を聴いたとき。それから中学高校とベボベばっか聴き続けてました。ここ4年くらいでまた趣味が広がってきてます。≪抱きしめたい≫以前のものも含めてベボベの作品は全て持ってます。
そんな僕の自己満足ブログだけど、僕の解釈に対する反論や異なる意見があれば是非聞きたいものです。知り合いの人にも知らない人にも。
ベボベの他にもなんか投稿するかもです。