あほキャス日記

青キャスというのはこのブログを書く人間のツイッタァでのハンドルネームです

すべては君のせいで

  楽曲考察の記事一発目になるんですけど、面倒くさい考察や読解や解釈を僕がしたがる大きな理由をベボベのブログ「ボクブロ」でギター湯浅将平が代弁してくれているので引用します。


数学ガール

数式萌え。嘘。
ひとつの数列をいろんな角度から見ることによって、その数列がもつ様々な性質を読み取る事ができる。そこに現れた数式は他の数式と合わさることにより、新しい考え方を生み出す。
音楽を聴く時に、ひとつの側面だけでなくいろんな観点から聴いてみる。音と音との繋がり、曲と曲との繋がりを解釈する。過去の作品、CDのアートワーク、アーティストの言動、楽曲以外からも理解を深める。そこに新しいワクワクが生まれるんだにゃんω

http://baseballbearblog.seesaa.net/article/323230536.html
ボクブロ 湯浅将平2013年2月17日の記事より


  僕もパッと聴いて分かることが全てではないと思うわけですね。作者の意図100%の解釈なんてありえないのだから(何なら普通の会話ですら話し手の意図100%を汲み取ることは不可能。言語化・言語複合してる時点で)、受け手それぞれの受け取り方あっての芸術だからどんどん考えを広げていくべきだと思う。
  あと数学ガール僕も好きで漫画版から入って原作の小説も読みました。

  ではやっとアルバム『光源』の1曲目、≪すべては君のせいで≫のことについて考えていきます。

  「君」というのは端的に、Base Ball Bearというバンド自体。
僕を置き去りに今日も教室は進む
  とかに表れている小出の中1での実体験はあまりにも有名。そんな負のエネルギーを昇華することができるBase Ball Bear(高校の文化祭当初のバンド名はPLANETといったらしいが)というバンドを結成できたから「眩しくて困」るような「檸檬が弾けるような日々」≪17才≫があったし、「頭抱える」ような時期(LOVE&POP期、特に≪Stairway Generation≫や湯浅脱退など)があったし、そんな躍動感やある種の脆さを含んだBase Ball Bear史自体が言い換えればアルバム光源で表現してる「2周目の青春」ってことなんじゃないかと。

  ここまでめちゃくちゃ月並みなことしか言ってないけど、もう一つミュージックビデオについて言及したい。個人的にはこのPVは史上最高。湯浅がいないPVが最高を更新するのが寂しい気もするけど。
本田翼は小出を表している。クレーン上の狭い箱(=教室)で暗い気持ちにまみれまくる小出がBase Ball Bearに出会う(実際は小出がベボベを作ったんだけども)という感じで。で、とすると小出は2人存在することになる。本田翼が象徴する小出とベボベの中の小出と。そして下界は東京のど真ん中新宿。逆に言えばこの曲では東京という社会から分離して、小出を含むベボベとそれをメタに見る小出しかいない。このことからも「君」という他者のことを歌った曲というよりも、小出がBase Ball Bear、すなわち青春を対象化して描いているといえる。小出が各所のインタビューで「未解決事件な青春を対象化できた」と言っているが、それは湯浅脱退という危機に直面したからこそベボベ自身を対象化できたということにもなると思う。端的にまとめるとこの曲はBase Ball Bear自身がBase Ball Bearという生命体の在りようをメタに表現した曲ということ。
  ミュージックビデオには曲や歌詞のガワの世界観を描写したり単純に演奏シーンだけだったりする雰囲気モノなタイプと、音や歌詞が象徴する曲の本質を映すタイプの2種類があると思う。≪すべては君のせいで≫は後者だ。PVの多くは前者だが。≪抱きしめたい≫とかは前者の分かりやすい例。前者の方がマーケティング的には有利に見えるが、今回のプロモーションとしてはリリース前はビデオの前半だけ公開して雰囲気モノ風に宣伝し、リリース後に見切れカットが入って本質に迫る表現がされている。僕のように解釈・考察したがりの面倒くさい人間にも嬉しい構造になっている。もちろん前者がダメだと言っているわけではないんだけども。何よりそんな29連勝の天才棋士みたいな鋭い戦略に気づいたときの鳥肌感といったらない。

  書いてみたけどもこれは文字数としてどうなんだろうか。読む人を考えるというよりも自分の書きたいこと書いてる感じだ。いやそもそも読む人とか全然いないか。感想・反論・質問等あれば貰いたいけども、続けてたら反論してくれる人来てくれるかな。今回はここまで。