あほキャス日記

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(LIKE A)TRANSFER GIRL

  湯浅将平脱退の件についてまたしても深く言及するんですが、今回も逆バタ同様、まあアツく書いていますね。前々回の《逆バタフライ・エフェクト》の記事では結果的に、湯浅視点に立ってその時のベボベがどんなものだったかを推測して書いた内容が多かった。それに対して今回の《(LIKE A)TRANSFER GIRL》では、小出・関根・堀之内から捉えた湯浅のことについての推測・解釈という内容となると思います。ベボベ湯浅論・小出関根堀之内編というか。

 

  ベボベには所謂「転校生シリーズ」というものがあります。DETECTIVE BOYSの《Transfer Girl》と新呼吸《転校生》のこと。端的に言って、この曲はその転校生シリーズとは関係ないと思っています。あくまで(LIKE A)であると。

  じゃあ何なんってところですが、このTRANSFER GIRLのような人物こそが湯浅将平に他ならないでしょう。湯浅が出て行ったことに対しての正直な気持ちをもとに曲を作るというのには、小出も思い切ったな、と思いました。思い切りすぎていて、本当にそれを意図しているのか?と疑いたくもなるくらいでした。しかしインタビューやニコ生等の振る舞いや、1つ前の《Low way》と次の《寛解》との繋がりからこの曲は湯浅についての曲であることを確信しました。

  前回も書いたように湯浅脱退に対してベボベは非常に気丈に(捉えようによっては冷徹に)振る舞ってきたため、湯浅が出て行ったことを曲にするというのは気丈な姿勢と矛盾するようにも思えるが、まずはそれでも僕がそう解釈した過程と根拠について述べたい。


  そもそも湯浅脱退に対して気丈に振る舞わなければならない理由は、湯浅がいないベボベという状態で客を動員して活動しなければならないからだ。ストイックにリアルを追求するベボベとして、中途半端で暫定的な形を見せるわけにはいかないから湯浅を完全に脱退として新たなベボベを見せる、ということには納得できる。
  しかしなぜ僕らはそこに残酷さを感じてしまうのか。それはストイックなBase Ball Bearとしての彼らの姿だけではなく、中学・高校以来の友人同士としての彼らの姿を見ていたいからでしょう。

  ライブのMCその他で小出は湯浅が抜けて云々という話をするときに必ず「去年うちのギターが脱退しまして…」という風に、湯浅のことを「ギター」と呼んでいます。これは意識的なものでしょう。とにかくインタビューとかでも「将平」という呼び方を避けている。
  一人称にしろ二人称にしろ三人称にしろ、人の呼び方にはその人達同士の関係性が象徴されるものです。小出があえて「ギター」と呼ぶのは湯浅との関係性に、中学以来の親友という側面を隠す必要があったということでしょう。なんで隠す必要があるかといえば、それはもちろんつらいからでしょうと。20年弱の付き合いの親友に縁を切られてキツくない人間とかいないんじゃないですか、普通に考えて。
  ただBase Ball Bearというバンドを動かし続ける以上、いなくなって辛いとは言っていられないわけです。彼らのプライドとして。そしておそらくマーケティング的にも。それで新体制のベボベに中途半端で暫定的なイメージが伴ってしまい、それによって売れなかったりしたらそれこそバンドが消えてしまうから。そのため湯浅のことを「ギター」と呼び、親友としてではなくバンドメンバーの1人としてその逆境に対して気丈に振る舞うことが必要だったということだと僕は思う。


  しかし、この曲では湯浅の親友としての小出の側面が表れている。僕がそう思う根拠の1つとして、アルバムの曲順という点が挙げられます。
  1曲目2曲目はメタなベボベの姿・2周目の青春や、もう自分ではどうしようもない運命と並行世界のことについての曲でした。3曲目《Low way》で色合いが変わって、次いでこの《(LIKE A)TRANSFER GIRL》、そして《寛解》と、まさに湯浅を失った現在進行形のベボベを歌ったものが続く。3,4,5曲目と他の曲で性質が違うのは、さっきも書いた「親友として」という側面と「バンドメンバーとして」という側面を分けているからだろうと思う。《Low way》はバンドメンバーモードから親友モードへの入り口、《寛解》は親友モードからの出口、そしてこの《(LIKE A)TRANSFER GIRL》は親友モードのど真ん中だということ。

  もう一つの根拠は、リリース日のニコ生で《(LIKE A)TRANSFER GIRL》についてのトークを避けたという点。これはまあ本当に捉え方次第というところではあるが、僕の場合は親友モードとしての話はバンドを動かしていく以上しないようにしている態度の表れだと思った。ただ単に放送の残り時間が少なかったというだけだろと言われれば、まあ個人的な見方ですけどとしか言えないものだけども。


  その解釈のもと、ここで歌詞について考えたい。
息を潜めた街は秋の甘い匂い
過ぎた短い夏のことを忘れて
この「街」ってベボベのことかなと。《文化祭の夜》みたいに、秋を思わせる今のいわゆる大人なベボベは「夏のバンド」という括りを取り払って変化し続けてきた、という解釈。
息を潜めた街に冬の甘いエッジ
君と待ち合わせた駅には 粉雪が

そんな中、湯浅脱退という「エッジ」が冬を告げる、みたいな。しかしそんな冬の中でも、
咲かせた言わぬ花をまだ枯らせたくはないんだ 僕は
と言っている。親友としての小出はあくまで湯浅に寄り添う形で、でもバンドは枯らせずに続けるからなと宣言。冬が終わってもバンドは終わらないぞっていう。
  あとは何だろう。「過去からのビデオレター」って《そんなに好きじゃなかった》のPVとも言えたりしてね。もう一つ、
淹れただけの紅茶がもう冷めてく
紅茶は湯浅の好きなミッシェルの象徴だろうと思う。(ミッシェルガンエレファント《世界の終わり》より)これは結構気付いた瞬間鳥肌立ったし、小出もそういう意図で「紅茶」を使ってるんじゃないかなって。
  ベボベの歌詞で「紅茶」が出てくる曲は、書きながら調べた限り、①《海になりたい》②《BAND GIRL'S SPIRAL DAYS》③《不思議な夜》そしてこの④《(LIKE A)TRANSFER GIRL》の4曲。このうち①では「紅茶で染まる道路」③では「都会と空と海が混ざる紅茶色」と、色の比喩として用いている。一方、②と④では色として使われているわけではない。それどころか②では「世界の終わりには 紅茶飲めないから」と、ミッシェルの歌詞を踏襲したものになっている。④でも同じくミッシェル(=湯浅)を意味するのでは、という。
いつだってbe with you
見つかったってwith you
いつだってbe with you
見つかったっていい理由

ここに至ってはもはや言及するだけ野暮でしょう。

  あとギターソロ以降のギターのフレーズに関して。どうもギター湯浅将平な雰囲気感じないですかね。ギターソロ9小節目以降とか分かりやすいんじゃないかと。あの下降形に《少女と鵺》のギターソロ感を覚えるのには共感してもらえませんか。コード進行が似てるってのもあるけど。


  こんなところでしょうか。書いてて思ったのは、僕が親友同士としてのベボベという側面を望みすぎている為にこういう解釈に偏ってしまっている、と考えることも出来るなというところ。まあでも解釈というのはその人の思考が如実に反映されるものだし、少なくとも偏りがあるかもしれないと自覚できているだけ良いと思いたい。ユニークな人間性と互いの関係性含めて好きなのは確かだし。

  どこかのインタビューによればこの曲は関根の推し曲。中学時代、学年が違うにもかかわらずバンドに誘われた関根だからこそ、4人でいることを特に誇りに思っていたんじゃないかと思う。

  そして、これをベボベがアルバムに収録したということがファンとしては本当に嬉しい。仕事仲間としてではなく親友としての姿を、隠しながらとはいえども、表に出してくれたというのが。で、こういうシンプルなアツい思いは隠さずに表面に出ているとすごく安っぽく見えてしまうもので、一周回ってからこの境地にたどり着かせようという考え、それこそが小出の言う「粋であるということ、それがロック」ということを体現していると思う。

  〈バンドメンバーとして〉という側面で捉えたとき、〈親友として〉の気持ちというのは弱さだとも言えると思う。ただ人は何かを良いと思うとき、強さよりも弱さに魅力を感じるもので。昔どこかのインタビューで関根は「ロックなものの不完全さ」という話をしていた。〈親友として〉の、バンドとしてはある意味で不完全な姿を粋に見せてくれるというところに、ロックバンドとしてのベボベの魅力が集約された曲だと感じた。