あほキャス日記

Base Ball Bearの考察をしています

リアリティーズ

 今回はめちゃくちゃ話逸れまくりだ。ただ逸れるのに無理もなくて、いつも最初に聴いたとき一発目でウルトラ感動しちゃうとどうもそこから先に進めないみたいなとこあるんですよね。いやすごく好きな曲であることは確かなんですけど。

 

 まずは、最近ベボベLOCKS!のWEBラジオなんて昔あったなーと思って検索検索してみたんですけど、あれまだ聴けるんですね。超久しぶりに聴いて第1回で小出が「今年で23になります」って言っててマジかってなりました。今の俺と同い年じゃんかっていう。そんで当時まだ小出と湯浅同居してたって。そんで湯浅意外と喋ってたなって。ベボベを考える上でトークまわしってわりと注目すべきことだと思う。いわゆる「ホリがまだツッコミを口に含んでいない」みたいに、楽曲制作同様トークにもまだベボベなりの文法が出来上がって状態。で、あれ丁度アルバム十七歳の時期で、アルバム制作では作曲とアレンジの理論を身につけて、ベボベLOCKS!ではトーク力身につけてる非常におもしろい時期だと気づくことに成功しましょうかね。トークなんて曲には全然関係ないように思えるけど、ファンやリスナーと間接的につながる場だから前回の《SHINE》記事で書いたようなリスナーの期待との付き合い方に大きく影響するんじゃないかと思ったりもします。WEB LOCKS!めちゃくちゃ面白いからみんな久しぶりに聴こうね。関係ない話その1でした。

 

 「誰か」になるのか「自分」になるのかっていうね。こんなん泣いちゃうヤツですね。この曲こそまさに、時間という神様のせい(おかげ)で青春を対象化できたから生まれた曲だと思う。前回の記事で愛すべき中二病みたいなこと書いたけど、誰かにではなく自分になろうとする者は中二病と嘲笑われるのが実際のところ。でもそんなはみ出し方もきちんと認めていけるのは時間が経過したからだ。僕も既に中学高校と大学の初めのそういう青春みたいな時代は、暫定的にとはいえ対象化されたものになっている者としてこの曲を素晴らしいと思っている。(別に所謂青春ってかんじの青春ではないけど、なんか尖ってた感じとか脆い感じとか)このアルバムのリリース時のSOL!でも少し言われてたけど、青春の渦中にいる人が聴いたらこの曲をどう受け取るのだろう、その後の青春にどんな変化が生まれるのだろうっていうのがとても気になる。

 重ねて言うが僕は中二病を悪い意味では決して使わないし、中二病を馬鹿にして無自覚に自分らしさを失う人間の方がよっぽどキツいと思う。せめて自覚的であれよと。確かにマジで眼帯して右腕に包帯巻いて「闇の炎に抱かれて消えろ」とか「爆ぜろリアル弾けろシナプス」とか言ってる人いたら「ヤベえ」とも思うけど、「愛くるしいなお前は」ってなりません?(クソ最低なこと言いますけど、男女問わずそれやってる人間のルックスによって判断は変わるよね)※カギカッコ内の語句は『中二病でも恋がしたい!』とトータルテンボスのイタズラ動画を参照しましょう。

 

 本当に全然ここから先に考えを深めていけていないもんで、もう少し何か書きたいので僕の中二病エピソードを書きます。この先はクソしょうもないです。たまにネタとして話してる僕自身のお気に入り中二病エピソードはまさに中学2年のとき。僕はウェイな友達が多かったわけです。それでウェイ男女僕含め6人でカラオケに行くんですけど、音楽の趣味に関しては既に僕はベボベ超好きだったし浮いてました。周りのウェイはみんなが聴いてるからっつってアホみたいにエグザイルとか歌うわけです。ウェイのノリにしんどさを感じた僕は機嫌が悪くほとんど歌わずに(歌えと煽られてそのとき知っていたポルノグラフィティの曲を1曲歌った記憶はあります)天井のシミを眺めていたのですが、帰り道の流れでクソ気持ち悪いウェイ女子のうちの1人と1on1になりまして、「今日つまんなかった?」みたいなことを聞かれました。つまんなかったとストレートに言えなかった僕は

「あの部屋の天井のシミ、なんか憑いてる気がして。歌う気になれなかった。」

ウルトラドイタいこと言いましたよね。愛くるしいなお前は。そんな私の中二病

 考察記事が進んできたらこのブログはベボベ考察ブログの最も優れたものとして広く知られたものになる予定なので次はもう少しマトモなこと書きたい。