あほキャス日記

Base Ball Bearの考察をしています

試される(8thアルバム《C3》#1)

なんだかわからないけど久しぶりに頭の中のことをちゃんと書いてみようという気分になったので、《試される》のこととか書こうと思います。

もともとは大学卒業間近にアルバム《光源》の考察とか言って始めたのに、全然進まないもんですね。はてなブログがサービス終了するまでにBase Ball Bearすべての曲の考察をしてみたいけど多分無理ですね。関係ないけど少し前に魔法のiらんどもサービス終了したし。試されるまでもない課題でした。

魔法のiらんどのサービス終了によって、僕の好きなマヂカルラブリー野田クリスタルのブログが見られなくなってしまうのが大変残念でした。

 

《試される》ですが、ベボベにおいて、小出祐介において、こういった視座を一つずつ後ろに下げてメタにものを捉えるタイプの観念っていつごろから持たれていたんですかね。

《抱きしめたい》のPVの終わり方で、本来のMVの映像からカメラの後ろにまわるっていう表現が使われたと思うんですけど、あのときはおそらく小出自身にも無自覚な「メタさ」だったんじゃないかなと思います。

《The CUT》では、すでに明らかに意識的な表現や観念として使われていました。その少し前の《yoakemae》のMVでも、最後に4人の演奏を見ている小出で終わるんですが、このあたりから意識がされ始めていると思います。《神々LOOKS YOU》もその感じあるけど、これもちょっと《The CUT》ほどの意識的な感じは無いように思います。

多分この「カメラの後ろ」という着想は《ほんとにあった!呪いのビデオ》シリーズから来ているんじゃないかと僕は思います。あれは「メタをやるorやらない」の検討すら押し黙らせて絶対にメタをやらない(ことにしている)ので、それがかえって「メタさ」という観念を持つことを助長させているんじゃないかと思います。(初期の数話は見たことあるけどホントに一部しか知らないので、素人の知識ですいません。稀にメタをやってしまう回もあるとは聞いてます。)そのため、「カメラの後ろ」という表現はそのMVや曲自体におもしろさを付与するための一つのフック・手法として、初期のころから小出に染みついていたんだと思います。

ただ、《The CUT》あたりから小出の内的世界だけではなくて、自身を取り巻く外に向けての歌詞が増えたことで、逆に「世間を捉える自分」への意識が強まり、自分と世間の視座の間を行ったり来たりすることが、小出がもともと持っていた「カメラの後ろ」という手法とリンクして、今やBase Ball Bearの一つの武器になっていったのではないでしょうか。

 

さて、話を《試される》に戻します。

この曲では「メタをやるorやらない」の行き来自体が表現されています。

黒髪が(黒髪が)

不安そうに

ゆれるから(ゆれるから)

原始的に心惹かれるだろ! 

上記の部分はメタを、やろうとしたりしていなかったりする中で、綺麗なあの娘の「黒髪が不安そうにゆれ」たりなんかしたらそりゃ「心惹かれ」てメタなんてやってる暇ないし主観や内的世界全開になるじゃんか、ってことですかね。

ただ、内的世界よりもメタの方が高尚だということは言っていなく、内的世界も内的世界で宇宙みたいな魅力はあるとしていると思います。どれくらい魅力があるかというと、少なくともフルアルバム1枚分くらいは。例えば1stアルバム《C》1枚分くらいは。黒髪を不安そうに揺らす彼女(She=C)には、海(Sea)や都市(City)や死を想起させるくらいのものがあります。

つまり、この部分はアルバム《C》を作っていたときのBase Ball Bearのこととも捉えられると思います。

 

そして2番では

価値観が(価値観が)

悲しそうに

ゆれるなら(ゆれるなら)

人間的に抗いたくなるだろ! 

1番が《C》であれば、この2番はもちろん《C2》ですね。

《C2》 はアルバムを通して、《The CUT》に近い着想でできています。ざっくりですが。そのメタな視座をもとに、「抗いたくなる」のも内的世界の表現と同じくらい広がりのある表現だと思います。

ちなみに、サビの締めとなる2つの歌詞

試される 試される ミステリーさ Boy Meets Girl 

試される 試される トリッキーなこの世界

も、それぞれ「内的世界や主観をやる・C」「メタや客観視をやる・C2」 で対比されていると思います。

 

と、いったように、《C》と《C2》をおさらいしつつ、その間を彷徨うような曲になっていると僕は思っています。

ただ、やはりシンプルに時間軸が《C》→《C2》→《C3》なので、やっぱり少し《C2》的な考え方が若干強い部分はあるんですかね。このあとの《C3》の曲も考えると。

で、その《C2》寄りな部分で僕の好きな歌詞がこちら

あの中の誰かも犯人だが システムを疑えよ 

仕事でも人間関係でもなんでも、システムや仕組み、上部構造を疑うのは大事だなと。

いつまでもこれができる奴でありたいですね。

で、《C》の魅力を十分に分かったうえで《C2》して《C3》していたいものです。