あほキャス日記

Base Ball Bearの考察をしています

Low way

 前回の逆バタは少々アツく書いてしまってボリュームもなかなかのものになってしまいました。そのため同じタイミングで書いていた大学のレポートもそのテンションに引っ張られてアツく書きすぎてしまい、読み返したら若干恥ずかしかったので修正しました。コミュニケーションとか教育とかそういう内容だったのも理由の一つですが。気楽な授業なのでレポートも書きゃ単位が出るタイプですが、気楽すぎて全員それぞれ発表してみようという運びになったので話してて恥ずかしくならない内容にする必要があったのです。こんな話クソどうでもいいですね。今回はなるべくシンプルに行きたいと思います。

 『Low way』は小出が各所で特に聴いてもらいたい曲みたいな括りで推してますね。アルバムの中で一番初めにできた曲だそうで。ベボベとしては異質なこの曲を一番初めに作ったというところには、やはりベボベの変わり続けようという意志がよく表れていると思います。破壊と創造、とはまた少し違うと思います。破壊はしてないし過去の曲を全く否定しないというのはベボベの特徴でもあります。ただそこで形成されたスタイルや曲作りの文法(なんかのインタビューで小出が文法という言葉を使ってました)から抜け出すというのがその時その時の課題となることは多いのではないでしょうか。

 湯浅脱退という発表をしてもベボベには決して活動休止という考えはなかったのは発表時のメンバーのコメントからも明らかです。この類の出来事において常套句となっている「充電期間」という言葉すらも使いませんでした。そして湯浅のみ活動休止という選択にも至りませんでした。そうしてしまうと中途半端な形を見せるという意味が含まれてしまうためだと思いますが(このあたりのことは次の記事でまた言及します)、とにかくベボベは気丈に振る舞ってきました。
 そのあまりの気丈さゆえに、話し合いもできていないのに下された急な決断をあまりにも残酷だと思った人もいると思います。というか僕も初めはそう思わずにはいられませんでした。小出よ、それはあまりにも厳しいのでは、親友としてそれは残酷すぎやしないかと。しかし過剰なほどの気丈な姿勢がBase Ball Bearとしてライブを行い、新曲をリリースするという活動に客を動員するのには必要だったということです。いやそれでもキツすぎるだろと思うかもしれません。ただこれについても次の曲の記事で本格的に述べたいと思います。

 とにかく大事なメンバーを失っても強い姿を見せていたベボベは、充電期間なんて存在しないと思わせるかのように振る舞っていた。しかし、まあさすがに真っ白になって立ち尽くした瞬間くらいあるでしょって曲だと思う。充電期間というよりも完全に放電してどうしようもなくなった瞬間というか。

  終電逃し見上げるハイウェイ
 湯浅の脱退であらゆる流れから取り残されてしまったベボベを表してますよね。でもそこにあるのは絶望感とかじゃなくて、「あーもうしゃーないわ」感というか。清々しさというとまた違うけど、ここまでなす術がないと逆にふっ切れる感じというか。もはや逆に前向きな気持ちで制作に入れたというそんな曲。
 そんな種類の逆境もこの世にはあるもんで。自分の体験を投影するなら就活を始めていたにもかかわらず休学期間があったせいでまだ卒業できないという規則を唐突に伝えられてもう笑っちゃうぜみたいな感じと似てるかもと。
 まあ今のはちょっと分かんないけど、「湯浅脱退、残念、ハイ次」みたいな感じではさすがにないってことは伝わるかと。


  ゆらり 涼しい風も踊る
みたいにほとんど全て失ったからこそ美しいものに気づくとか、
  親の目盗み 君の部屋に転がり込んだ
  あの日みたいだな

みたいに全ての始まりの状態を思い出すとか、「エラいことになったさあどうしよう」ってときの心境が素直に表れている曲だと思う。
 で、ほとんど全て失ったけどまだ自分自身の生身の身体ならある、っていうのが湯浅を失ったベボベの状態で、それからの心持としては
  そして、思い付いたとき 駆け出していく
  それでいい

ってところですね。


 ファンとしても、発表を聞かされただけの時よりも幾分優しい気持ちになる曲だなと思う。小出が推したくもなるわけだ。そして人生にもこういう時間が時には必要なんだと思った。

 そんな感じですね。1900字、そりゃそうだけどもレポートよりえらくスラスラと書きやがる。
 最後に、この曲のスーパー重要な役割として次の曲に繋ぐブリッジというものがあると僕は思う。さっきから次の記事次の記事言いまくってるけど、それくらいに次はアツく書かずにはいられない曲で。次は逆バタよりもアツく書きたい曲、というよりも光源で一番アツく書きたい。曲としてもアルバム内で次への架け橋としての役割を持っているのと同じように、ブログの記事としても次への架け橋という部分を強調してグッド・バイ。