あほキャス日記

Base Ball Bearの考察をしています

SHINE

 15年培ってきたギターロックバンドとしてのパワーに溢れてて当然好き。四つ打ちでギターが曲を引っ張るこの疾走感、一人のベボベファンとしてこういうスタイルに魅力を覚えるように価値観が形成されてきているんだと思う。でもベボベはそこからどうやって期待されるポイントからズラすかに意味を見出してきたバンドでもあると思う。特に3.5th以降は。例えばこちらも大好きなPOLYSICSなんかはむしろ逆で「リスナーのもつ価値観から作品をどうズラすか」ではなく、「リスナーの価値観自体をどうズラすか」というバンドだといえるだろう。

 

 これは微妙な問題だけどすごく面白いテーマだと思うのでもう少し言及したい。Base Ball BearのPVで再生数が多いのは1位から順に『short hair』、『PERFECT BLUE』、『ドラマチック』、『changes』、『Stairway Generation』(2017/8/16時点)。『すべては君のせいで』の伸び率もなかなかなのを見ると本田翼人気ハンパねえ。ただ言いたいのはそういうことではなく、これが世間が持つBase Ball Bearについての価値観とも言うこともできる。もちろん再生数の中には超ライトな層や本当に本田翼目当ての人もいるだろうし、そもそも僕はYouTubeの再生数に意味を見出すのは基本的に正しいとは思っていない。でも今YouTubeの再生数を持ち出したのは、逆にそのライトな層にもフォーカスを当てて考えたいからだ。

 今のベボベにとっての代表曲(真の意味でバンドを象徴する曲ということではなく、ライトな層含め広く認知された曲という意味で)は『short hair』だということになる。そして今ベボベを聴き始めるリスナーは、これを基準に過去の曲や最新の曲を評価することになる。このときリスナーの中でバンドに対して「こうあってほしい」というイメージが形成され、逆にバンドはその期待に対してどう付き合っていくかが課題となる。ベボベはその期待に真っ直ぐ期待通りの回答をすることには価値を見出してはいないバンドだ。むしろその期待をかわした先に新たな価値が発見されることに希望を持っているという感じだろう。完璧なストレートを投げてから変化球で空振りを取ってバッターを感服させるように。(この三振のとり方を覚える前は、変化球投げつつも決め球はいつもストレートだった。『Stairway Generation』なんかはそうしてストレートを投げ続けなければならない苦しみに関する曲だと思う。ステジェネまで行った時用のメモ。)

 それに対してPOLYSICSの再生数1位は『I My Me Mine』だ。正直言って最高に頭がおかしい(褒め言葉としての意味)。この時点でリスナーが「こうあってほしい」などと思えるようなレベルから完全にかけ離れている。POLYSICSを聴き始める人は、代表曲『I My Me Mine』という自分にとって理解できない場所からスタートするが、次第にその理解できないスタイルがおもしろくなってくる。中には僕のようにルーツとなるバンドを漁ってそれを理解しようとする人も多いだろう。それを継続することで理解できなかった物の楽しみ方をリスナーが覚えるという関係が成り立つ。そしてまた理解不能な新曲が出て、でもリスナーはまたそれを驚いたり楽しんだりするという流れ。真っ直ぐからの変化球で三振を取るベボベに対して、初めから魔球みたいな変化球を投げまくってバッターに打ち方を覚えさせるが、決め球はまたさらに意味わかんない変化をして凡打で打ち取るような感じ。

 ブライアン・イーノはなんかのインタビューで「ファンは究極的には前のアルバムみたいな曲を作ってくれることを期待している」という旨のことを述べていた。リスナーの期待とどう付き合っていくかというのは、バンドによって千差万別だが、非常に重要なテーマだと思う。

 

 うまいこと言おうとしてうまく伝わってない感じが否めないが、話を『SHINE』に戻したい。今述べたような前提があるため、こういう感じの一聴するとこれまでのベボベの楽曲制作の文法に沿っているような曲については、逆にこれまでと何が違うかを捉えることが大切だと思う。

 といってもそれは勿論湯浅がいないということなのだけど、それによって実際何が変わったのか。やっぱベースですよね。これまで湯浅ギターが担当していたメロディーとメロディーの間の無意識に印象に残るようなフレーズを関根ベースと小出ギターが担当している。特にかつてルート弾きが基本だった関根ベースの変化は大きいものだと思う。

 

 歌詞について。「その手の炎」とか中二病感すごいけど、結局青春ってそういうことなんでしょうね。僕は中二病という言葉を嘲りの言葉としては断じて用いない。むしろ愛すべき中二病というか。秩序で満たされた社会や集団に馴染むことを拒んで自分らしさを確立しようとした結果、ちょっと恥ずかしい感じになるのが中二病だと思うんですね。それを恥ずかしいと思うのも、僕がある部分で「持たざる同僚たちに馴染ん」でいる証拠なんですけど。でもそのことに自覚的であることは大切なことだと思います。

 で、「その手の炎」による万能感を表現した1番の歌詞、上で述べた秩序や「普通に」よって「流されるボート」になって「全能」が「取り上げられていく」2番の歌詞、別々の段階を描いてますね。小出も各所で言っているけどベボベの歌詞としては、1つの曲に状況が2種類あることは珍しいことですね。でもそのどちらでもあってどちらでもない脆さが青春の正体なんだと思います。その全能と無能の間を揺れ動くのが青春というものの、すごい、それは、美しさなんだ、かも、しれませんね、SAMURAI。

 

(謎の向井秀徳締め。結局曲の解釈後半のちょっとしかしてねえじゃんか。)